【コロナ回顧録】
今日から コロナは
5類相当の 扱いになりました
治療薬が 完成したわけじゃなく
コロナが 消滅したわけでも ない
でも ひとつの 区切りを 迎えた
そう 思える 気がします。
正直 今日までの 3年ちょっと
相当 神経を 使いました。
もし 感染してしまったら
スタッフは 濃厚接触者になり
会社は 当然 閉めることになります
接客した お客様に
感染したことを 連絡し
更なる 感染を 防がなきゃ 駄目だし
もう そんな 事態になったら
街の 不動産屋は あっさり倒産です
だから 常に 倒産危機と
背中合わせで 過ごしてきた感じ
お陰様で わたしも 奥さんも
森川君も 彼の 奥さんも
感染することなく 今に至りましたが
身内の 多くは 感染しました。
娘夫婦と 孫たちも 感染したし
友人も 感染しました。
いまだに 後遺症で
苦しんでいる人も いるし
感染した 多くの 人は
「なめたら アカン! めちゃめちゃ しんどい」
って 口を 揃えて 言います。
振り返れば 2020年1月
中国の 武漢で 発生した
ウィルス感染が ニュースになり
武漢の お医者さんの 悲壮な叫びを
ニュース映像で 見るたび
中国だけの 問題なのか?
日本にも 来たら どうなるの?
そう 思ったときは 手遅れでした
2月に 国内感染者が20名となり
その頃 クラスターが 発生した
大型クルーズ船が 横浜港へ来ました
連日 報道される クルーズ船の 状況
ほんと 恐ろしかった
凄まじい 感染力に 愕然としました。
その後 WHOが 緊急事態を 宣言し
あらゆる 国で 感染が 広がりました
3月には 小学校も 臨時休校になり
大規模イベントは 延期か 中止
在宅勤務の テレワークが
企業で 採用されました
不要不急の 外出は 自粛となり
近隣県の 往来も 自粛
そして 志村けんさんが 亡くなりました
まだ 遠い存在と 思ってた コロナが
身近にきたと 感じる 出来事でした
そして その頃 最も 不安だったのは
マスクが 手に 入らないこと
ワクチンもない 治療薬もない
コロナ そのものも 謎だらけ
有効的とされる 防御策は
手洗い うがい そして マスク着用
なんとも 頼んないのに
肝心の マスクが 手に入らない
どこの 薬局に 行っても 売り切れ
コンビニも どこも 売り切れ
毎朝 入荷を 期待して
開店前に 薬局で 並び
手ぶらで 帰ってくる 毎日
もう 地獄でした
数枚しか 持ってない マスクを
毎日 大事に 手洗いし
毛羽立った マスクを はめる
アルコール消毒したいのに
消毒液は どこにも 売ってない
ネットで マスクや 消毒液が
転売され みるみる 高値に
粗悪品の 中国製マスクが
1枚100円以上の 価格になりました
その頃 わたしは
それを 大量に 購入し
お客様に 贈ろうとしました。
今 何よりも 欲しいものは
マスクだと 思ったから
その後 入荷し 贈れたのは
全ての お客さまに 対して 3枚だけ
5人家族でも 3枚だけでした
それを ゴールデンウィークに
せっせ せっせと 包装し
朝から 晩まで あて名書き
今じゃ どこでも 買える マスクを
わずか 3枚 送ることに
こうやって 改めて 振り返ると
もう 同じような 3年間を
二度と 経験したくない
こんな 日常が 訪れるとは
これっぽっちも 予期してなかった
でもね
わたし達は こうして 生きている
新たな 変異や
新たな 感染拡大も あるでしょう
でも きっと 乗り越えてみせる
わたしの 2人の 孫は
生まれて コロナ禍しか 知りません
マスクを 外すことも なく
どこに行っても アルコール消毒
そんな 孫たちに
わたしたちが 経験してきた
自由な 青春時代を 過ごして欲しい
なんか 重たい 文章になりましたが
とにかく 5類扱いになりました
ああ コロナか? 昔 流行ったな
そう 思える 時代がくることを信じ
気を 抜くことなく 対策し
元気で 乗り越えましょう!