父さん 今まで ありがとう
実は 昨日 わたしの 父が 亡くなりました。
約5年ほど前から アルツハイマーになり
その後 いろんな 病気を 患って
入退院を 繰り返し 自分では 歩けない
寝たきりの状態に 長いこと なっていました。
今年の10月に 黄疸が 体中に 出たので
救急車で 急遽 入院することとなり
検査した結果 末期の 胆のうがん ということでした。
しかも 体中 あちこち 転移していて
年内 もつか もたないか? との
主治医の 宣告を 受けました。
まさか そんな事態は これっぽちも 想像していなかったので
わたし自身 かなり ショックを 受けましたが
さすがに 父に 正直に 告知するわけにも いかず
結局 父は 何も 知らずに 10月下旬に 退院する事になりました。
その後 家族全員 力を 併せて
在宅療養という かたちで 頑張っていたのですが
想像している以上に ガンの進行は 早く
一日 一日 見るからに 父は 衰弱していきました。
わたし達 身内では どうすることも 出来ないほど
父が 衰弱してきたので 少しでも 父が 苦しまないように
いろいろ 調べた結果
兵庫県 尼崎市にある 立花病院の ホスピスが
ガンの 告知を しないでも 受け入れてくれることが 判りました。
ホスピスというのは ガンの 末期の方だけが 入院する施設で
最後の 最後まで 痛みとかで 苦しまずに
人間らしく 人生の幕を 閉じるため
お世話してくれる 施設のことを いいます。
実際 立花病院の ホスピスの方は みんな 献身的で
本当に 親切で 良くしてくれました。
先週の 12月12日は 父の誕生日だったので
ホスピスで 心 温まる 誕生会を してくれたりもしました。
誕生会のあいだ 最期の 力を 振り絞って
でも その翌日になると 父の 具合が さらに 深刻な状況になり
目を 開けることも 滅多に 出来なくなって
呼吸も どんどん 息苦しく 早いものに 一変しました。
わたしも いつ何時 父が 亡くなるかもしれないと
覚悟を 決めたものの やはり 不安で 心配で
仕事の 合間を 見つけては
ホスピスに 父の 様子を 見に 行ってました。
おとついには 顔が びっくりするくらい 黄色くなっており
下血と 吐血を 繰り返し
見るに 見かねるほど 衰弱していました。
そして 12月20日 13時20分。
ずーっと それまで 目を 閉じていたのが
いきなり ぱちっと 目を 大きく 開けて
眼球が きょろきょろ しだしました。
多分 みんなの姿を 探していたんだと思います。
母も 兄も わたしも みんな 父のもとに 居たので
みんなで 泣きながら 一生懸命 声をかけ
わたしは 「父さん 今まで ありがとう。 一生懸命 仕事して 育ててくれて ありがとう。」
「一杯 頑張ったね。 もう 楽になるからね。」
と 手を 握りながら 泣きながら 大きな声を 掛けたら
なんと 父の 両目から 大きな 涙が ぽろり ぽろり。
その後 大きく 息を 吸ったかと 思えば
そのまま 帰らぬ人となりました。
きっと わたしの声も 父に 届いて
父も 安心してくれたんだと 思います。
まだ 今日は わたし自身 悲しみが 一杯で
23日の 告別式を 終えるまでは
父との たくさんの 思い出に 浸りながら 過ごすつもりです。
たくさんの お客さんとの 約束も
急遽 キャンセルしたりして
たくさんの お客様に ご迷惑を お掛けして
本当に ごめんなさい。
わたしの ブログは 出来るだけ 明るく
楽しいものに したかったので
父の 闘病生活は 今まで 隠していましたが
今日は お話させてもらいました。
12月28日より 冬季休暇になることもあり
わたしの 年内の ブログの更新は
今日が 最後とさせて頂きます。
今年 一年 たくさんの お客さまに 出逢え
たくさんの 笑顔を 頂き
本当に ありがとうございました。
新しい 新年を 迎えてからは
いつも通りの 元気な わたしに 戻って
元気で 楽しい ブログを 更新しようと 思っています。
それまで 勝手ですが わたしに もう しばらく お時間を 下さい。
本当に 今年 1年 ありがとうございました。
新年が 皆様にとって 穏やかで
幸せな毎日になりますよう 祈っています。
そして 父さん 今まで 本当に ありがとう。